足利氏の氏寺「鑁阿寺」
寺院なのに日本100名城!
【GOOD!いちおし】
グッド!モーニング「Good!いちおし」のコーナーで紹介された内容をご紹介しています。
足利氏の氏寺 鑁阿寺国宝の本堂を持つ鑁阿寺。
その始まりには、普通のお寺とは少し違う物語があります。
かつての武士の館がなぜ祈りの寺になったのか。
そこには悲しい過去がありました。
お堀に囲まれた寺の秘密
鑁阿寺が武家屋敷から国宝の寺院になるまで
栃木県足利市にある鑁阿寺(ばんなじ)は、お堀と土塁に囲まれた普通のお寺とは一線を画す不思議な空間です。
なぜ寺院がお堀を持つのか——そこには鎌倉時代から続く武士の歴史と、ひとつの悲しい物語がありました。
武家屋敷がお寺に変わった理由
足利義兼の出家と妻の悲劇
鑁阿寺がお堀に囲まれているのは、もともとここが中世の武家屋敷だったからです。
敵に攻められるのを防ぐためのお堀がそのまま残り、今の独特な景観を生み出しています。
1197年頃、のちの室町幕府将軍家につながる足利家二代目・義兼が、この武家屋敷を寺に変えたことが鑁阿寺の始まりです。
義兼は源頼朝と従兄弟同士という関係にあり、頼朝の公的な儀式に代理として参加するほど深い信頼を得ていた人物。
頼朝の妻・北条政子の妹を妻に迎え、まさに鎌倉幕府の中枢を支える存在でした。
そんな義兼が頼朝を離れ出家を決意した背景には、悲しい出来事がありました。
戦から帰ってきた義兼は、妻・時子のお腹が大きくなっていることに気づき、不貞を疑ってしまいます。
しかし実際にはヒルによってお腹が膨張したもので、妊娠ではありませんでした。
真実を知らないまま責め続けられた時子は自害。
義兼は妻を疑ってしまったことを深く悔い、さらに子ども2人も早くに亡くしていたことも重なり、妻と子の供養のために出家を決意したのです。
妻の死から3年後、義兼は生きたまま修行に入る「生き入定」を行いました。
このとき、武家屋敷を寺院として整えたのが鑁阿寺の始まりです。
頼朝から秀吉、家康まで
時代を超えて守られた国宝の寺
鑁阿寺には鎌倉時代から残る貴重な文化財が多く現存しています。
山門に立つ金剛力士像は、日光東照宮の眠り猫でも知られる名工・運慶の作と伝えられており、鎌倉仏像のダイナミックで写実的な力強さが今もよく残っています。
本堂は国宝に指定されており、足利氏の守り本尊として大日如来坐像が祀られています。
鑁阿寺が現在まで当時の姿を保てた背景には、時代ごとの権力者たちによる手厚い保護がありました。
室町時代には足利将軍家が代々この寺を特別扱いし、「戦があっても乱暴をしてはいけない」という命令を出すほど大切にしました。
三代将軍・義満は幕府直轄の特別な寺院として高い格式と特権を与えています。
足利家が没落した後も、全国の足利家ゆかりの家臣たちが力を合わせて寺を守り続けました。
さらに豊臣秀吉は、庶民出身である自身の正当性を示すために鑁阿寺を手厚く保護。
禁制を発して戦の被害から守り、秀吉亡き後は徳川家康もその方針を引き継ぎました。
江戸時代中期には、将軍に直接会うことができるという最高ランクの特権が幕府から与えられており、当時これが許されたのは鑁阿寺の住職、川崎大師、鶴岡八幡宮のわずか3者だけだったといいます。
また、上杉謙信が武田信玄との川中島の戦いを前に戦勝祈願に訪れたことでも知られており、多くの戦国武将が足を運んだ寺でもあります。
鎌倉時代から続く人々の思いが重なり合って、鑁阿寺は奇跡的に当時の姿を保ち続けているのです。
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