朝ドラ「ブラッサム」第5週で、西洋レストラン「悠樂軒」で働きはじめた珠(石橋静河)。
常連客の『首都公論』編集長・黒崎(遠藤憲一)たちが、珠に「50銭」のチップを置いていく場面が話題になっています。
「50銭のチップって、そんなにすごいの?」と、ピンとこなかった方もいるかもしれません。
大正時代の50銭は、物の値段でくらべると今の500円ほど、お給料でくらべると今の5千円〜7千円ほどの価値があったと考えられます。
今回は、珠が50銭のチップをもらうまでのネタバレと、50銭の今の価値、そして珠のモデル・宇野千代(うの・ちよ)さんも50銭のチップをもらっていた実話についてご紹介します。
目次
ブラッサム 珠が50銭のチップをレストランでもらう
ブラッサム 珠が西洋レストランで働き始める
「ブラッサム」は、作家・宇野千代さんの人生をもとにした、2026年度後期の朝ドラです。
ここでは、珠が西洋レストランで働きはじめるまでの流れを、かんたんにふり返ります。
1.岩国で生まれた、本が大好きな珠
主人公の葉野珠は、山口県岩国市の酒蔵の家の娘。子どものころから、ひまさえあれば本を読んでいました。
女学校に進むと、仲間と手づくりの雑誌を出し、物語も書きはじめます。
2.最初の結婚は、わずか三日で終わる
父が決めた縁談で、珠はいとこの家にお嫁に行きます。
ところが夫は珠にまったく関心を見せず、珠は三日もたたないうちに家を飛び出してしまいました。
3.初恋と、悪いうわさ
その後、小学校の先生になった珠は、同じ学校の島村先生と恋に落ちます。
けれど2人の仲が村のうわさになり、珠だけが学校をクビに。
悪いうわさは消えず、次に働いた本家の酒蔵もやめることになってしまいます。
4.保をたよって東京へ
ふるさとにいづらくなった珠は、帝大に進んだいとこの保(金子大地)をたよって上京。
本郷の下宿「三好」で、保の“妹”ということにして、いっしょにくらしはじめます。
5.仕送りが止まり、悠樂軒へ
上京して1年がたった1917年(大正6年)10月。
保の父が入院し、実家からの仕送りが止まってしまいます。
学費と生活費のため、保は朝の新聞配達を始めます。珠も働き口をさがしますが、女性を雇ってくれるところはなかなか見つかりません。
やっと見つけたのが、新聞のすみにのっていた「悠樂軒」のウエイトレス募集でした。
こうして珠は、悠樂軒で朝10時から夜8時まで働くことになりました。
悠樂軒で働く店長やウエイトレスのキャストは、こちらで紹介しています。
ブラッサム レストラン キャスト!ウエイトレス役の芸人や店長役など
珠が50銭のチップをレストランでもらう
ここからは、悠樂軒でのネタバレです。
洋食を楽しみに、おしゃれな身なりの人たちが集まる悠樂軒。
とくに目立つ常連が、人気の文芸誌『首都公論』をつくる2人。トップの黒崎大三郎(遠藤憲一)と、ナンバー2の山中勇三(井浦新)です。
保は新聞配達をしながら大学に通い、珠は西洋レストラン「悠樂軒」でウエイトレスとして働くことになる。そのレストランの客の中には、一流の文芸雑誌「首都公論」の敏腕編集長・黒崎大三郎(遠藤憲一)と副編集長・山中勇三(井浦新)がいた。黒崎は一流の編集長らしく、豪快にビフテキを食べ、帰る際には必ず大金のチップを置いていった。そんな中、珠は家事と仕事の合間に小説を書き続けていたが…。
引用元:番組表.Gガイド
雑誌に原稿を載せてもらいたい作家たちは、黒崎の姿を見かけると、次々と声をかけにきます。
とても羽ぶりのいい黒崎たちは、帰りぎわに、珠に50銭のチップを置いていきました。
その夜、珠はお店でのできごとを保に話します。
仕送りが止まって苦しいくらしの中、50銭のチップは、珠にとって思いがけない大きな収入だったはずです。
番組の紹介文でも「大金のチップ」と書かれている50銭。いったい、今のお金でいくらくらいなのでしょうか?
朝ドラ #ブラッサム 次週予告🌸
『第5週』10/26(月)〜10/30(金)放送
❝狂騒で、東京❞📱『第4週』の本編とダイジェストはNHK ONEで配信中 pic.twitter.com/bvH4z5Uvst
— 朝ドラ「ブラッサム」公式 (@asadora_bk_nhk) October 22, 2026
チップをくれた黒崎のモデルの話は以下の記事にまとめてあります!
黒崎大三郎のモデルは滝田樗陰で名物編集長【ブラッサム】
50銭のチップは現在の日本円でいくら?
1銭は1円の100分の1
まず、「銭(せん)」というお金の単位から。
1銭は、1円の100分の1です。つまり100銭で1円、50銭は0.5円(半円)ということになります。
明治時代から使われていたお金の単位で、今でも、ニュースの為替レート(「1ドル=150円20銭」など)で耳にすることがあります。
大正時代には、50銭の銀貨が実際に使われていました。
物の値段でくらべると、50銭は今の約500円
昔のお金の価値を今と正確にくらべるのは、じつはとてもむずかしいことです。
物によって値上がりのしかたがちがうからです。
それでも、だいたいの目安は「物価指数」という数字で計算することができます。
日本銀行のホームページには、大正時代から今までの「企業物価指数」(会社どうしで取り引きされる物の値段の動き)がのっています。
- 大正6年(1917年):0.951
- 大正7年(1918年):1.246
- 令和7年(2025年):912.9
(昭和9〜11年の平均を1とした数字)
これで計算すると、次のようになります。
- 大正6年の1円 → 今のおよそ960円
- 大正6年の50銭 → 今のおよそ480円
- 大正7年の50銭 → 今のおよそ370円
物の値段だけでくらべると、50銭は今の400〜500円ほど。ワンコインくらいの金額です。
ただし、これは物の値段の上がり方だけで見た数字です。
大正時代は今よりずっと物が安く、お給料も安かったので、くらしの感覚でいうと、もっと価値は大きかったと考えられます。
当時のお給料でくらべると、50銭は今の5千円〜7千円
そこで、当時の人のお給料とくらべてみましょう。
全国町村会のコラムによると、大正7年(1918年)の小学校の先生の初任給は、月12円〜20円でした。
間をとって月15円とすると、1日あたりは50銭ほどになります。
つまり50銭のチップは、小学校の先生の1日分のお給料とほぼ同じ金額だったのです。
今の小学校の先生の初任給を、月20万円ほどとすると、1日分は約7千円。
お給料の感覚でくらべると、50銭は今の5千円〜7千円ほどにあたると考えられます。
黒崎たちは、食事のたびに、先生の1日分のお給料ほどのチップを置いていったことになります。番組の紹介文で「大金」と書かれるのも、うなずけますね。
50銭でできたこと
当時の50銭で、どんなことができたのでしょうか。
大正時代、東京・銀座の「カフェーパウリスタ」では、コーヒーが1杯5銭で飲めたといわれています。
50銭あれば、コーヒーが10杯飲めた計算です。
また、物価は大正7年ごろから急に上がりはじめ、小学校の先生の初任給も、2年後の大正9年には月40円〜55円に上がっています。
珠が悠樂軒で働いていた大正6年〜7年は、物の値段がどんどん変わっていく、くらしの苦しい時代でもありました。
仕送りが止まった珠と保にとって、50銭のチップは、本当にありがたいお金だったはずです。
ちなみに原稿料366円は今のいくら?
宇野千代さんは、のちに小説『墓を発く』が雑誌『中央公論』に載り、366円の原稿料を受け取っています(1922年・大正11年)。
この366円は、小学校の先生の初任給の2年分ほど。
資料の本では、今の250万円ほどの大金だと紹介されています。
50銭のチップをもらっていた給仕の女性が、数年後には何百円もの原稿料を受け取る作家になる。
宇野千代さんの人生の大きな変化が、お金の数字からもよくわかりますね。
原稿料のエピソードは、こちらでくわしく紹介しています。
首都公論のモデルは文芸雑誌「中央公論」!宇野千代と深いかかわり!
宇野千代も50銭のチップをもらった実話なの?
宇野千代は本郷の西洋料理店「燕楽軒」で働いていた
珠のモデル・宇野千代さんも、東京に出てきたばかりのころ、いろいろな仕事をしてくらしていました。
勉強を教えたり、雑誌の写真にうつったり、お店で料理を運んだり。生活のために、できる仕事は何でもしていたようです。
その中で、50銭のチップの話が残っているのが、本郷三丁目の洋食店「燕楽軒(えんらくけん)」です。
燕楽軒は、本格的な西洋料理を出すお店で、文化人やお金持ちに人気があったそうです。
珠が働く悠樂軒は、この燕楽軒がもとになっているとみられます。
燕楽軒については、こちらでくわしく紹介しています。
悠樂軒(ゆうらくけん)モデルは燕楽軒!西洋料理店は宇野千代が働いていた?
50銭のチップをくれた常連客「金時さん」
お店の常連に、ふくよかな体つきから「金時さん」というあだ名でよばれていた男性がいました。
この人が座るのは、いつも宇野千代さんの担当のテーブル。食べるのがとにかく早く、最後にビールをぐいっと1杯あけるのがお決まりでした。
お会計とは別に、毎回テーブルに残していったのが、50銭の銀貨のチップでした。
資料の本では、この50銭は今の5千円ほどの価値だったと紹介されています。
先ほどの「お給料でくらべた価値」とも、だいたい同じですね。
宇野千代さんが50銭のチップをもらっていたのは、本当にあった話なんです。
金時さんの正体は『中央公論』の編集長
気前のいい金時さんの本名は、滝田樗陰(たきた・ちょいん)。道の向かいの中央公論社で、雑誌『中央公論』の編集を仕切っていた人物です。
一方ドラマでは、文芸誌のトップである黒崎が、珠の働くお店で50銭をはずんでいきます。
「雑誌の編集長が、レストランで50銭のチップを置いていく」という場面は、史実をほぼそのまま描いているんですね。
50銭玉がたまったら、すぐにやめた
燕楽軒での給仕の仕事は、3週間も続きませんでした。
当時の宇野千代さんは、持ち物を質屋にあずけてお金を借りるほど、くらしに困っていたようです。
チップでもらった銀貨が手元にたまり、質屋から自分の物を取りもどせる金額になったところで、さっぱりと仕事をやめたといわれています。
18日間で質の物を取りもどせたのですから、50銭のチップが、当時どれだけ大きなお金だったかがわかりますね。
ただ、燕楽軒での出会いは、お金よりもずっと大きなものでした。
このとき知り合った滝田樗陰が、のちに宇野千代さんの小説を『中央公論』に載せ、作家への道をひらいてくれたのです。
ドラマとのちがい
ドラマと史実には、ちがうところもあります。
- 働いた期間:宇野千代さんはわずか18日。ドラマの珠は、妊娠して札幌へ行くことが決まるまで、半年以上お店に立ちつづける
- 史実では、チップをくれたのは編集長ひとり(金時さん)として伝わっているが、ドラマでは黒崎たち『首都公論』の人たちがチップを置いていく
50銭のチップという、ちょっとしたお金のエピソードにも、史実がしっかり生かされているのは、見ていて楽しいところですね。
まとめ
朝ドラ「ブラッサム」で、珠が悠樂軒でもらう50銭のチップについてご紹介しました。
- 1銭は1円の100分の1で、50銭は0.5円
- 物の値段でくらべると、50銭は今の400〜500円ほど
- 当時の小学校の先生の初任給(月12円〜20円)でくらべると、50銭は1日分のお給料ほどで、今の5千円〜7千円くらい
- 宇野千代さんも、本郷の燕楽軒で、常連客の「金時さん」こと滝田樗陰から50銭のチップをもらっていた実話がある
「先生の1日分の給料」と思って見ると、黒崎のチップのすごさがよくわかりますね!
宇野千代さんと芥川龍之介の燕楽軒での接点については、こちらで紹介しています。
宇野千代と芥川龍之介の接点や関係は燕楽軒?