イヌネさんの投稿
父(53)は「多様性のある社会で生きていくのは大変だ。理不尽な行為や虐待が当たり前だった昭和の時代に人生の大半を過ごしてきたので、何がダメなのかよく分からない」と語った。このご時世です」 他の誰かになりたくないので沈黙を選択し、その結果、社会で自由に発言する権利を失い、生きていくのが難しくなります。
時代の問題ではなく人間性の問題だとか、理解できなくても啓発本を何冊か読めば大きな地雷は避けられると思わずにはいられませんが、最近父はいつも少し怒っていました。疲れ果てていて、誰かや何かに近づく気力もないようですが、気持ちを吐き出すことができてよかったです。
自分の価値観が社会と乖離しすぎていて、今更修正することは不可能だという絶望感を思うと、やりきれない気持ちになります。
正直、父が心から笑っている姿をもう何年も見ていないし、何をやってもつまらなさそうなので、何を見せればいいのかわかりません。
「理不尽と暴言が当たり前だった昭和の時代に人生の大半を過ごした~」という部分は、厳密に言えば「昭和の価値観」あるいは「昭和・平成初期」です。お詫びと訂正!
「人生のほとんどを昭和に過ごしました」なんて書いてごめんなさい! !
何が言いたかったかというと、私は昭和から平成初期までいわゆる昭和の価値観の中で生きてきたということです!私は平成生まれなので、父親は昭和生まれという印象が強かったので、つい書いてしまいましたが、想像上の父親ではないので、ご容赦ください。
父(53)は「多様性のある社会で生きていくのは大変。理不尽な行為や虐待が横行していた昭和の時代に人生の大半を過ごしてきたので、何がダメなのかよく分からない」と語った。このご時世です。私は他の誰かになりたくないので沈黙を続けることを選び、その結果、社会で自由に発言する権利を失い、生きていくのが難しくなります。」
— いぬね (@inunemuri) 2024 年 9 月 28 日
fa-ウィキペディア-w多様性
ダイバーシティとは、異なる特性を持った幅広い集団が存在することを指します。単に「いろいろなものを持っている」ということとは異なり、同じような性質を持つ集団が形成されるのが特徴です。
出典: ウィキペディア
インターネット上のコメント
・女性やフェミニストの多くは男性に多様性のある社会を求めていますが、その価値観は未だに昭和の時代のままです。
・これを言ってダメだったら何も言えない!私はそうやってオープンにするのが嫌いです。
・年齢に関係なく多様性について語るのはうんざりだ。欧米でもそういう雰囲気が出始めている。
・牛角半額の話を思い出すと、なんとも言えない。
・あれだけ息子に恥ずかしがらず、恥ずかしがらずに話せる父親は、外で黙っているはずがない(笑)。
・弱者に対してやったことは報われるという時代もありましたが、それは私たち自身の責任でした。
・信頼できる家族にだけ本心を吐露し、それを無断でネットに流す子供は最低のクズではないのか?